「孤独」という言葉にはネガティブなイメージがあります。
そして「孤独」から逃れるために、SNSなどで繋がろうして、それが逆にストレスになっているという話を聞いたことがあります。
その一方で、世間の煩わしさから逃れたくて、「孤独」になりたいと思うことがあります。
都合の良い話ではありますが、自分が望む時に人と繋がることができて、自分が望むときに一人になれるというのが理想なのかもしれません。
この本の「はじめに」で著者は、
「孤独」から逃れるためには、あなたは世間に迎合せねばなりません
と言っています。
特に同調圧力の強い日本社会においては、世間に迎合せず、独自の道を歩もうとすれば、社会から疎外されてしまいがちです。
この本は、「孤独」をキーワードに、仏教の教えから人や社会との関わり方について論じてています。
仏教では苦しみの原因は欲や煩悩にあると言われます。
株式投資を行い、日々マーケットの動きを見て一喜一憂することがありますが、もっと稼ぎたいという欲望や、人に負けたくないという欲望から、自分を追い詰め、苦しめることがあります。
この本の中で著者は、「馬鹿」と「阿呆」の話をしています。
著者は、「馬鹿」は人生の悩みを解決しようとして失敗する人、「阿呆」は人生の悩みを解決することはできないと諦めて、悩みを抱えたまま毎日を楽しく生きようとする人、とした上で、「阿呆になって生きてごらん」と言っています。
著者は関西人なので「馬鹿」に対して「阿呆」という言葉に多少の親しみを込めていると思いますが、東京人であれば感覚的には「馬鹿」と「阿呆」のニュアンスは逆かもしれません。
煩悩を克服し、欲望から解放された生き方をすることは現実ではありませんが、目の前の問題に一生懸命取り組んで苦しむだけではなく、時にはありのままを受け入れて肩の力を抜く生き方も必要かなと思いました。
また、脱線した話として道徳について触れていますが、
道徳とは、強者が弱者をいじめる武器
という著者の言葉が強く印象に残りました。
最近、芸能人の不倫というどうでもよい問題で、世間が異常なまでのバッシングをして当人を社会的に抹殺する風潮にはうんざりします。
投資という行動は仏教の教えとは対極的な位置付けにはありますが、ストレスを軽減し、長期的な視点でマーケットの変動に対して冷静に対処するためには、仏教の考え方も役に立つのではないかと思います。